⑬お笑い偏差値と勉強偏差値

頭の悪い人にとっては朗報である。

タイトルを見て分かる通り、今回はお笑い偏差値と勉強偏差値の関係について書いていきたい。

結論から話そう。

お笑い偏差値と勉強偏差値は正直言って全く関係していない。

頭の良い人は正直言って分かっていると思う。

今言った「頭の良い人」というのはお笑い偏差値の話のことである。

勉強の偏差値が高いからといって、これを分かっているとは言い切れないだろう。

私はこれまで正直言って「頭の良い人」と思われてきた。

それはなぜかというと、答えは簡単である。

「面白い」からである。

しかし、だからと言って勉強が特別に得意なわけではない。

学生時代部活ばかりをしていて一切勉強していなかった時期もあるぐらいだ。

そんな私を人々は「頭の良い人」と思ってしまう。

それはなぜかを解説していきたい。

多くの人は

「面白い人」=「頭の良い人」

という印象があるのだ。

中学校時代、私のテストの点数を見て隣の机の女子から言われたことがある。

「え!?うそ!?頭悪いの!?」

と。

結構引かれた。

それぐらい私は頭が悪いのだが、頭が良く思われるのだ。

世間一般では

「面白い人」=「頭の回転が速い人」=「頭の良い人」

という印象が大きすぎるのだ。

今回は学歴や勉強に対してコンプレックスがある人に言いたい。

「面白くなりたいけど、俺、頭悪いからなぁ」

と思っている人がいたら、大きな声で伝えてやりたい。

「勉強が出来なくても、面白くなれる。」

これは100パーセント間違いない。

逆に言おう。

「勉強が出来ても、つまらない奴はつまらない。」

これは断言できる。

確かにお笑い芸人などは高学歴な人が多い。

また、最近はクイズ番組などで活躍するお笑い芸人が多いため、

そういった印象がつきやすくなっているのだ。

しかし、お笑い偏差値と勉強偏差値は一切関係が無い。

確かに最低限のレベルの勉強は必要である。

一般常識というものである。

しかし、この一般常識というのは、笑いをとるための最低限のレベルである。

歴史で言うなら「織田信長」を知っている。

なにをした人なんかは知らなくていい。

織田信長という名前さえ覚えておけばよい。

数学で言うなら「かけ算、割り算」までで良い。

ただ、「因数分解」が出来なくても、

「因数分解」という言葉だけは覚えておいた方が良い。

これが、お笑いの難しいところである。

「因数分解」という言葉は、なかなか使い勝手が良く、

例えにも使い勝手が良く、笑いに繋がりやすいのだ。

ここが勉強偏差値とお笑い偏差値が唯一連動するところなのだ。

ここの説明は難しいので具体的な例を挙げよう。

「聖徳太子」

何を行った人かは大して重要ではない。

お笑い偏差値にはそんな知識はあまり使えない。

しかし、

「聖徳太子」=「たくさんの人の言うことを聞ける」

という知識だけは覚えておかなければならないのだ。

テストで点数を取るためには必要のない知識である。

しかし、この聖徳太子のエピソードは、なかなか有名なので、これは使わずにはいられない。

笑いに繋がりそうな知識を持つことが、お笑い偏差値なのである。

違う言い方をすれば、お笑いの臭覚である。

ピンと来る人はくるだろう。

お笑い偏差値の高い人はピンとくるのだ。

これは使える!と。

意識的に感じる人もいれば、無意識的に感じる人もいると思う。

意識的か無意識的かは、そんなに問題じゃない。

いざ、この知識が使えると思った瞬間に、その知識を引き出せるかが重要なのである。

私は意識的でもあり、無意識的な部分もある。

あともう一つだけ、私が頭が良いと勘違いされる理由を話しておこう。

例えば、クイズや問題を出されたとしよう。

私は答えが分からないとき、瞬時にそれをクイズではなく大喜利として回答するのだ。

これが私のことを頭が良いと勘違いするポイントである。

実際の私は頭が悪いと思われたくないと思って回答している部分がある。

「やべ~、分からねぇ~」となって

あてずっぽうに答えることも可能だ。

しかし、それだと間違えた時に恥をかいてしまうのだ。

私は極力、恥はかきたくないのだ。

だから、上手くボケるのである。

小さい頃から恥をかきたくないという気持ちが大きかったのかもしれない。

分からないと判断した瞬間、脳が面白い答えを探すのにシフトチェンジするのだ。

そうするとどうなるだろうか。

間違えた=頭が悪い

という印象から、

わざとふざけて答えた=面白い人

という印象に変わるのだ。

まるで自分が答えを知っていて、普通に答えると面白くないから、そう答えたのだという印象をつけることが出来るのだ。

そう考えると実際に答えを知っている人よりも面白い答えを出せる人の方が頭が良く思われるのである。

間違った答え<正しい答え<面白い答え

という順番になってしまうのだ。

分かる人からすれば簡単なことである。

どうしてもこの理論が違うと言いたいのであれば、

東大生に大喜利させれば間違いなく証明できる。

今までボケに関しての偏差値の話をしてきたが、

前から言っているようにボケは最低限のレベルの知識があればよい。

しかし、ツッコミに関しては少し違う。

ツッコミというのは、間違ったものを訂正することである。

間違った答えに対して正しい答えのツッコミをしないといけない。

なので、ボケの方よりもツッコミの方が多くの知識が必要になってきたりする。

また面白いもので、勉強偏差値が低いのにお笑い偏差値が高いと、

分からなかったものが、分かったりもする。

普通にテスト用紙が配られて、問題文を読んでも分からないものも、

そのワードでツッコまなければならない状態になったときに、

そのワードが出てきたりもするのだ。

これは恐らく、問題を読む脳と、会話をする脳が違うからだと私は思う。

正しいツッコミをしなければいけないとお笑い脳が働き、

記憶の奥底から知識を絞り出せるのだ。

あともう一つ言っておこう。

勉強の偏差値を上げる為には、机に向かって勉強しなければならない。

しかし、お笑い偏差値というのは机に向かって勉強しても意味がないのだ。

お笑い偏差値を上げるということは、座学で学ぶものではない。

もちろん、このブログを読んで面白くなることはない。

このブログを読んで、面白いことを見つけ出すヒントになればよいと筆者は思っている。

お笑いというのは日常から学ばなければならないのだ。

面白そうなものを見つけるアンテナが必要なのだ。

そのアンテナを伸ばすことがお笑い偏差値を上げるということなのだ。

敏感に日常を見なければならない。

何気ないところにも、見る人が見れば、面白いことが隠れているのだ。

先ほど机に向かっても面白くはなれないと書いたが、

日常で見つけた面白いことを思い出し、机に座ってまとめることは効果がある。

皆様も自分の日常の中から面白いものを見つけ出し、お笑い偏差値を上げていくと、日常が今より少しは充実していくと思います。

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