⑱いじられたくない!いじられキャラ脱却方法

今回は今現在いじられていて、楽しくない人に向けて、

いじられることについての解説をしていきたい。

「いじられキャラ」というのは、どこにでも必ずいる。

会社内に、学校のクラス内に、必ずいる。

10人に1人、いや、5人に1人ぐらいはいるのではないだろうか。

しかし、ここで大きな問題がある。

5人に1人ぐらいの割合でいると思われる「いじられキャラ」なのだが、

「よっしゃー!今日もいじられたぜ!」

「今日の俺の(私の)いじられも良かったな!」

なんて思っている人というのは、ほぼほぼいないのだ。

現に私も学生時代に「いじられて」不快な思いをしたことがある。

全国の「いじられキャラ」で、しんどい思いをしている諸君、

これは超朗報である。

このコミュニケーション能力が抜群に高い私でも、

「いじられキャラ」で悩んだことがあるのだ。

その当時は思わなかったが、今となっては良い経験だったと思う。

なぜなら「いじられること」・「いじること」について真剣に悩み、

考えることが出来たからである。

そして私が今現在、会話の中で人をいじるときや、自分がいじられる時などは、この経験を元に絶妙なコミュニケーションを取れていると思う。

今回はそんな私の経験を元に、そして色々な人と関わってきた中での

「いじられ」というものについて解説していきたい。

まず初めに「いじられキャラ」というものについて解説したい。

先ほども書いたが、「いじられキャラ」というのはどこにでもいる。

私が学生の頃にもクラスに「いじられキャラ」はいた。

学校を卒業し、社会人になっても「いじられキャラ」はいた。

これまでの42年間、常に「いじられキャラ」というのはいたのだ。

ここから先は私の推測なのだが、

定年退職し、私が老人ホームにお世話になったとしよう。

おそらく老人ホームにも「いじられキャラ」はいる。

私が大病を患い、4人部屋の病室に入ったとしよう。

おそらく1人は「いじられキャラ」だろう。

私は「人をいじる」という行為は、人間が生きていく上でしょうがないことのように思う。

原始時代にも、「いじり」や「いじられ」は普通にあったと思う。

マンモスを仕留め損ねた人は恐らく、いじられていただろう。

土器を上手く作れなかったひとは、いじられていただろう。

「いじられキャラ」というのは人間として生きていく上で、

付き合っていかなければならない問題なのだ。

「いじられ」というものに上手く向き合い、付き合っていく方法を解説していきたい。

そして「いじり」「いじられ」を良いコミュニケーションツールとして活用していく方法を伝えたい。

と言っても、今回の読者は「いじられキャラ」を脱却したい!と思っている人が多いと思うので、具体的な方法を3つほど挙げていく。

自分に合ったものを選び、少しでも毎日が楽しくなってくれれば幸いだ。

まず1つ目の方法を解説していく。

これは私が学生時代に編み出したもので、普通の人には少し難易度が高いかもしれない。

そして、私も大人になってはあまり使用していない方法である。

その方法とは、

「いじってくる奴を、それ以上のいじりで対抗する」

である。

これは正直言っておすすめしづらいものである。

それと、ある程度のコミュニケーション能力が無ければ出来ないものである。

おそらく人をいじりたい人というのは、

自分がこいつより上に立ちたい。みたいな心理があるのだと思う。

なので、そういう奴がいじってきたら、

こちらもいじり返すのだ。

それも2倍、3倍のパワーのいじりを行うのだ。

そうするとどうなるか。

「あ、この人はいじっても俺が損する」

と思わせるのだ。

特に異性などが多い場だとこれは非常に有効だ。

なぜなら、恥をかくから。

圧倒的話術にひれ伏してしまうからだ。

私は大学の入学当時にこれを行っていた。

「あ、こいつにいじられるようだったら、モテない」

そんな些細なことからこの方法を使っていた。

今思うと間違っていたと思う。

ただ、あの頃の私は非常にプライドが高く、コミュニケーション能力も高かった。

そんなコミュニケーション能力の乱用を行ってしまっていたのだ。

この方法は最初にも書いたがおすすめは出来ない。

しかし、私もあまりに気に喰わない相手や、生意気な奴には時折、

この方法を使い、お灸を据えることがある。

あまり使わない方が良い。嫌われてしまうから。

では2つ目の方法に入ろう。

2つ目は1つ目の方法と違い、実用性がある。

私が一番使用するテクニックだ。

それは、

「いじられの線引きをする」

というものである。

線引きといっても分かりづらいので、細かく解説していこう。

分かりやすく言うと、

「ここまではいじっていいよ」

「これ以上はいじったらダメだよ」

というのを明確にするのだ。

そんなことをどうやってするのか?

答えは簡単である。

「いじりに対して、上手く返すか返さないか」

である。

間違っても、口頭などで線引きを行ってはいけない。

「このことはいじらないでね」などと

いじられキャラの人が言うと逆効果なのだ。

「このことをいじってください」みたいになってしまうのだ。

だから、その線引きを「いじってくる人」にさせなければならない。

定番「いじってくる人」というのは場を盛り上げたくていじってくる。

これを念頭に考えなければならない。

ウケを狙いたい。盛り上げたい。俺のいじりは面白いぜ。俺の方が上だぜ。

こういった考え方でいじってくる。

これを逆手に取るのだ。

Aさんがいじってきた→自分が上手く返す→盛り上がる

Bさんがいじってきた→自分が上手く返す→盛り上がる

Cさんがいじってきた→腹立ったから上手く返さない→盛り下がる

こういうシチュエーションを作れれば最高だ。

周りが「Cさん言い過ぎじゃない!?」感を出せれれば勝ちだ。

Cさんは、「あ、こっち系のいじりはダメだ」

と確実に判断する。

もちろん、周りの人もその状況を把握して、こういういじりは止めよう。となる。

しかし、正直言ってこれはコミュニケーション能力が高くないと難しい。

「上手く返す」と「上手く返さない」の違いが分からないのだ。

そういった人には単純に考えてほしい。

「元気にリアクションする」と、「リアクションしない」で区別するのだ。

あまり自分が元気なキャラじゃない人は、

「何でもいいから言葉を返す」と、

「え?」「ん?」みたいな手抜きな返しで区別するのだ。

シカトしてもよい。

私もめんどくさい相手だとシカトする。

そして周りのリアクションやウケ度合いを把握しておこう。

こういった返しなら盛り下がる。こういった返しは盛り上がる。などで調整していこう。

そうやって線引きを行うとよい。

そして、もうどうしても上手くいかないのなら、不機嫌になろう。

演技でも良い、不機嫌感を出そう。

ただ、この不機嫌になるというのは、いじられなくなる代わりに、

距離を置かれてしまうことがあるので、多用してはならない。

年に2.3回どうしてもの時などだけ使うようにしよう。

それでも「いじられキャラ」が脱却できない方は3つ目の方法を使用するとよい。

では、どうしても「いじられキャラ」を脱却できない人に向けて

3つ目の方法をお教えしよう。

2つに方法を紹介してきたが、

この2つの方法で「いじられキャラ」を脱却できない場合は、

「環境を変える」しか方法はない。

それはもう「いじられ」というより「いじめ」に近い状態だからだ。

「いじられ」と「いじめ」の境目というのはとても難しく、個人によって境目というのは全然違う。

ただ、人をいじり方が下手な人は、すぐにいじりからいじめの方にいってしまうのだ。

なぜなら、いじり方のセンスがないと、いじりのレベルを上げることしかウケを狙えなくなってしまうからだ。

例えば、いじられキャラに水をかけたとしよう。

最初はそれでウケるだろう。

当たり前だが、次に同じことをしても最初よりはウケないのだ。

だからいじり方が下手な人は水の量を増やす。

そしてどんどん「いじり」から「いじめ」に変化していってしまうのだ。

なので、いじられるのがつらいなら環境を変えるしかないのだ。

環境が学生だったら、学校に行くな。

環境が社会人だったら、転職しろ。

圧倒的に逃げた方が早い。

環境を変えるために動いた方が良い。

自分を変えるという方法もあるが、

人間そう簡単には変わらない。

自分を変えるのは時間がかかるのだ。

しかし、環境というのは意外にすぐに変えられる。

こういった悩みは私もそうだが、学生時代などで多いような気がする。

1週間ぐらい学校を休んで、「いじられ」が少しでも収まれば、「続ける」という選択肢を考えても良いが、時間が経つにつれて元に戻るケースも多い。

小学生、中学生なら学校を休め。

高校なら定時制の高校などに転校しろ。

人生というのは想像以上に長いのだ。

1度や2度逃げたところで屁でもない。

私は、逃げないことが美徳だとは一切思わない。

強い人間は逃げなくてもよいかもしれないが、

強い人間など、私は今までの人生で見たことが無い。

逃げ方を知るのも人生において大きな勉強なのだ。

あと、これを見ている学生さんに伝えたいことだが、

「学校というのは楽しいものではない」

学校というのはしんどいものなのだ。

学校に行きたくなくて当然だ。

私も小学校から大学まで学生生活を行ってきたが、

学校に行きたい日など、小学校から大学までで10日間ぐらいだろう。

仮に年間200日登校していたとして、

200×小学校6年・中学校3年・高校3年・大学4年の計16年の3200日

学校に行きたい日など、3200日のうちの10日ぐらいだ。

確率にすると 学校に行きたくなる確率は『0.3%』程なのだ。

ミドルタイプのおすイチぐらいの確率なのだ。

よく、大人は学生時代は楽しいなどと、ほざく。

だが、42歳の私が声を大にして言ってあげよう。

「学校は楽しくない。」

人間というのは過ぎ去ったものを美しく思ってしまうのだ。

なら、大人に逆に聞いてみればよい。

「仕事って楽しい?」と。

大半の人間は「仕事は大変」「学生が良い」などと、ほざくだろう。

では次に、定年退職した、じいちゃんばあちゃんに聞いてみればよい。

「仕事って楽しかった?」と。

おそらく「大変だけど楽しかったよ」というだろう。

そんなものなのだ。

学生時代を謳歌できる人など滅多にいない。

今学生のみんなは学校という世界が全てになっているだろう。

そんなことはない。

いじられることで学生生活がしんどいなら、なんの躊躇もなく逃げて良いのだ。

これは社会人でも言えることである。

私も転職を2回経験している。

2回目の転職の時はそうでもなかったが、

1回目の転職の時は、環境の変化に対しての不安が大きかった。

その時はまだ20代後半だったが、職場に縛られ過ぎていたのだ。

それに怖いのが、職場に縛られ過ぎているという「自覚」が無かったのだ。

今で言うところのブラック企業だったのだが、

環境を変えたい。という意思はあったのだが、変えるきっかけを見失っていたのだ。

そして、結果論的にいうと変えて良かった。と思うのだ。

同じ職場にいた人間も何人も、その職場を辞めたのだが、

皆口を揃えて「辞めてよかった」というのである。

30代・40代の転職は絶望的

そんなことはない。

環境を変えることに恐怖を覚える必要はない。

環境を変えるのは、とても勇気のいることだが、

5年後10年後に、あの時、辞めなければ良かったなどと後悔することは早々ない。

非常に稀なのだ。

人間関係に悩んだら、環境を変えるのだ。

逃げるのだ。

逃げるという言い方が嫌ならば、違う道に踏み出すのだ。

そして、違う道を進みながら、コミュニケーション能力を少しずつ上げていき、

次の環境で同じことにならないように、注意しなければならない。

それが私が思う、最大の「いじられキャラ」脱却方法である。

シェアする